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城崎温泉ルーツの集い

2007.12.1|普段は表に出ない裏側の話

今の城崎温泉が「ゆかたの似合うまち」として、町並みが整い、そして大勢のゆかた掛けのお客様がお歩きになっているということについて、住んでいる私たちでさえ もはや「当たり前」のことと思っているわけですから、この地を訪れるお客様にその意義をご理解いただくのは到底無理なことではあります。

実は1960年頃の城崎の温街街は暴力団がはびこり、とても治安の悪いところでした。それが68年に旧城崎町民らで防犯協会を設立し、警察や行政と連携しながら家や土地、軒下を「貸さない」運動で、ついに暴力団の追放に成功したという過去があったのでありました。
それから随分と年月が経過しましたので、今ではその歴史を知る人もすっかり少なくなってしまったのですが、お陰で現在の城崎温泉には暴力団は全く居ないのであります。そればかりか今や県下48警察署の中で城崎温泉管轄の豊岡北署は犯罪検挙率がいつも最下位の48位。それもダントツで発生率が低い安全地帯なのであります。
このような下地があるからこそ、現在取り組む「ゆかたの似合うまちづくり」が定着したのであって、当時の諸先輩方の努力は本当に並大抵のことではなかったと聞いているのであります。


さて、そのような画期的な運動と、今日までのたゆまない取り組みが評価され、その活動の中心であった人物が先日の秋の叙勲で藍綬褒章を受けられたのでありました。

先日の11月29日のこと。町内某所で開かれた叙勲を祝うパーティーに私も出席して参りました。年離れた私は別として、そこに集った人々は、60年代に実際に尽力された方々ばかり。もちろん故人も多いことでしょうし、90歳代、80歳代の出席者も数多くおられたのでした。
叙勲されたご本人の弁を借りれば「城崎温泉の全ての人の協力があってこそ。住民を代表していただいた。」ということで、確かに核となる人物の存在はとても大事ですが、ここに集った人々が現在の城崎温泉の礎を築いてこられたといっても過言ではないと思うのでありました。本当にとんでもない集いが開かれたものだと、私は感心しきりでありました。
ただし、そのことに感心ばかりしてはいられないのも事実です。
「暴力団の再侵入阻止」を肝に銘じて、これからも安全安心なまちづくりに積極的に取り組んでいかなければならないのは、私共後輩に課せられた大きな使命なのでありました。