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「城崎温泉への歩み」

2008.06.10|普段は表に出ない裏側の話

ここに一冊の小冊子があります。白黒で、半ば印字が擦れたところもあるこの冊子の題名は「城崎温泉への歩み」、「城崎温泉の歩み」で無いところがなんとも意味深であります。
今の城崎温泉は「ゆかたの似合うまち」として、その町並みは特筆されるものがありますし、まちづくりは全国各地の観光地の良きお手本としてたくさんの視察をも受け入れています。しかしながら、以前からそうであったかと言えば、実はそうでは無く、かなり荒れた時代もあったのであります。
「温泉地 = 風俗(暴力団)」という図式は全国各地でよくみられ、昭和30年代後半から40年代にかけての城崎温泉もまた、一時期そういった輩がはびこっていたようであります。

小冊子は次のような文章から始まっています。
『昭和30年代よりレジャーの大衆化時代を迎え、当町の観光客の増加は順調な伸びで推移していった。この観光客に目をつけ暴力団がはびこり、夜の城崎温泉街には飲食業を看板とする屋台が軒を並べる状況が年ごとに増加していった。この屋台は、表面上は飲食業を装っているが、実態は暴力団員がこの屋台を根城として、エロ写真・エロ映画・売春等のポン引き行為、暴力行為が半ば公然と行われていた。』

なんだか以前にNHKで放送されていた「プロジェクトX」のような書き出しでありますが、実はこれは城崎温泉でもかつて「プロジェクトX」があったということを伝える小冊子なのでありました。
こんな安全安心なまちではあり得ないと思えることが以前にはあったのですが、それが先人の並々ならぬ努力によって暴力団が一掃され、今の城崎温泉が形成されていったのでありました。今となっては、その当時実際に活躍された方のほとんどが他界され、そのことを知る人も数少なくなって参りました。もちろんこの私も、そんな時代があったことなど、話の上でしか知らないのです。
今日は防犯協会の城崎温泉の総会でありましたが、最近とにかくこの小冊子を見かける機会が多いのであります。それはつまり、今の安全安心なまちは偶然に出来上がったのではなく、必然的に作られたのだということ。それは先人の努力の賜であったのだということ。そして、そのことを忘れて気を緩めてしまうと、たちまち平和では無くなってしまうということを教えて伝えていこうということなのであります。
先人の意を受け継ぎ、次の時代に引き継いでいくための「バイブル」、それがこの「城崎温泉への歩み」なのであります。
実は我々の世代の役目はかなり重要で、今後も肝に銘じ、益々お客様に喜んでいただけるまちづくりにあたっていかなければならないのでありました。